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キリマンジャロ登山日記

 

1990106日 Arusha → Moshi, Tanzania

 アリューシャからマイクロバスに乗って1時間半で、お昼頃キリマンジャロ登山の基地として有名なモシに到着。バックパッカ−がみんな泊まるYMCAにチェックイン。シンプルだが快適なシングルルームが朝食付きで1500円ほど。部屋の窓からは巨大なキリマンジャロが近くに望まれ、いやでも登山意欲が高まる。ここはアリューシャよりも標高が低く、1,000メートルくらいしかないので、午後はかなり暑かった。

 

108日 Moshi Mandara Hut

朝、昨日いっしょに登ろうと約束したアメリカ人のヴァンスとモシYMCAの食堂で会って、いっしょに登山ツアー会社Trance Kiboのオフィスに行く。ほかにスウェーデン人2人組(サミュエルとリチャード)が来ていて、いっしょに登ることになる。4人で話し合った結果、通常の登山ツアーは45日なのだが、念のため途中で高度順化のため1日停滞日を入れて、56日にすることにした。高山病にかかりやすい私にはありがたかった。56日のツアー代金は、通常外国人は外貨払いで420ドルということだったが(入山料を含む)、これを値切って特別に現地居住者料金で32,000シリング、プラス入山料200ドルでやってもらうことにした。32,000シリングはブラックマーケットでちょうど100ドルだったから、合わせて300ドルと、120ドル安くなったことになる。ツアー代金の方は早速外貨申告せずに隠し持っていた100ドル札の現金で支払う。これはいわばヤミ金だから、レシートは出ない。入山料200ドルの方は、そのまま国庫に入る金なので、トラベラーズチェックで支払い、公的なレシートがちゃんと出る。100ドルのツアー代金には、荷物を持つポーターの代金、ガイド料、食費が全て含まれる。ポーターつき、食事つきで1泊あたり20ドルだから、とてもリーズナブルだ。入山料200ドルは、国立公園の入園料と5泊分の山小屋の使用料を含むが、ツアー代金本体の2倍というのがすごい。無論これは外国人料金だ。キリマンジャロもタンザニアにとっては重要な外貨獲得源なのだ。費用としてはこの他に、登山口までのチャーター車代1人あたり2,000シリング(US$6.25)、登山靴、目出帽、手袋、ストック、靴下などのレンタル料が2,500シリング(US$7.80)で、合計314ドル、約46,000円となった。貧乏旅行者にとっては大変な出費である。何としてでも登頂しなければ・・・。

11時頃、ジープに乗ってYMCAを出発し、12時半頃登山口のゲート到着。標高は1,900メートルくらいしかない。このような巨大な高山の登山口としては大変標高が低い。頂上までの高度差は何と4,000メートル弱。気が遠くなるような距離だ。運の悪いことに、雨が降り出した。けっこう本格的な雨で、ちょっと止みそうにない。雨の中を午後2時頃出発。荷物は全てポーターが持ってくれるから、自分はカメラと貴重品、行動食だけ持てばいい。大名登山だ。熱帯雨林の中を2時間半ほど歩いて、標高2,700メートルのマラング小屋に到着。寒い。早速小屋の暖炉で身体を温め、ぬれたものを乾かす。所持品はびしょぬれで悲惨な状況だったが、寝袋があまりぬれていなかったのはもっけの幸いだった。かなり疲れていたので、夕食後すぐ寝た。

 

109日 Mandara Hut Horombo Hut

 朝起きると、昨日と打って変わってすばらしい晴天だ。8時過ぎに出発。少し登ると樹林帯を抜け、草原地帯となる。標高2,900メートルあたりから、かなたに白い雪をかぶった頂上が見え隠れする。道もわりと良く、ハイキング気分だ。しかし高度の影響が少しずつ出てきて、息はぜいぜい、だんだん歩けなくなってくる。行けども行けども着かない。道はとてもなだらかで、さしたる登りもないのだが、そのかわりなかなか高度が上がらない。午後3時、やっとホロンボ小屋に到着。標高3,780メートルと書いてあるが、持参した高度計を見ると実際は3,650から3,700メートル程度と思われる。小さなバンガローがたくさんあって、そのうちの一つが我々の今夜の宿だ。頂上もチラッと見えるし、眼下に雄大な雲海が広がり、すばらしいロケーションだ。冷たい水も豊富。息はぜいぜいしていたが、あまり頭痛もなく、しばらく休んでいると気分が良くなってきた。ヴァンスはあれだけの荷物を担いで、12時頃着いたと言う。彼は自分の荷物を全部自分で担いでいるのだ。夕食は、時間になるとポーターたちがうやうやしくバンガローまで持ってきてくれた。食後にはちゃんと紅茶も持ってきてくれる。夕食後4人でいろんな話をして、9時半ごろ寝袋に入った。外は満天の星空がすばらしい。

 

1010日 Horombo Hut 滞在

 今日は高度順化のための停滞日だ。このホロンボ小屋周辺は景色も良く、こうやって一日のんびりするにはすばらしいところだ。1日多めにして本当に良かったと思う。11時頃から3時間ほど、身体を慣らすために上の方に歩く。300メートルほど登ったら、目の前に頂上が見えてすばらしい景色だった。午後は本を読んだりしてのんびり過ごす。9時には眠りについた。

 

1011日 Horombo Hut Kibo Hut

 9時出発。天気は曇りか霧。最初のうちは調子が良かった。Last Waterから先はなだらかな平原がどこまでも続く。まるでチベットの大平原を歩いているみたいだった。だんだん体がフラフラしてくる。行けども行けども着かない。ひたすらゆっくり歩きつづける。やっと小屋が見えてきた後もけっこう遠くて、本当にめげてしまった。午後4時半、ついにキボ・ハット到着。標高4,700メートル。熱い紅茶とビスケットがありがたい。ヴァンスは12時半、サミュエルとリチャードは2時に着いたと言う。5時になると、ポーターたちが夕食をもってきてくれる。食べるとけっこう気分が良くなってきた。いつのまにか天気も回復して、外は美しい夕焼けだ。反対側のピークが夕陽を浴びて真っ赤に染まって美しい。雄大な雲海。ここで5時間ほど休んで、深夜12時に起床、1時に頂上アタック出発の予定だ。ここまで来たからには悔いのないよう、ベストを尽くしたい。

 

1012日 Kibo Hut Gilman’s Point Horombo Hut

 ケニヤ山を登ったときアタック小屋で寝ているうちに高山病が発症して、頂上まであと200メートルを残して敗退した苦い経験から、標高4,700メートルのこの小屋では一睡もしないと決めていた。寝袋には入ったが、予定通り全く眠らずに深夜12時過ぎ起床。紅茶と軽食の後、午前1時半出発。満天の星空だ。三日月のお陰で懐中電灯は必要なかった。かたつむりのようにゆっくり歩く。後から来た人たちにもどんどん抜かれて、いつのまにかドン尻になってしまう。ガイドにせかされるが、無視してひたすらゆっくり登る。4時間後の午前5時半、やっと中間点のメイヤーズ・ケーヴに着く。東の空が赤く染まり始めている。チョコレートを食べたら少し元気になってきたので、また登り始める。やがて日が昇ってきた。反対側の岩山が真っ赤に染まって美しい。ひたすらゆっくりゆっくり登る。息が切れて苦しいが、足だけは何とか動く。睡魔に襲われ、歩きながら眠ってしまいそうだったが、意志の力だけでひたすら登りつづけた。やがて上から人がどんどん下山してくる。もうすぐだよと声をかけてくれる人もいる。ピークは遠くなさそうだ。気が遠くなりそうな忍耐の末、午前845分、出発後実に7時間15分でギルマンズ・ポイントに立った。標高5,685メートル。キリマンジャロは富士山のような巨大な死火山で、頂上部分はお鉢平のようになっていてピークがいくつかある。ギルマンズ・ポイントは最高峰ではなく、本当の頂上まではここからさらに1時間半かかる。しかし、このギルマンズ・ポイントに立った人は、公式にキリマンジャロに登ったと宣言できることになっているのだ。これまでの努力が報われたかと思うと本当にうれしくて、信じられなくて、思わず泣いてしまった。一つの山を登ってこれほど感動して涙したのは、これが初めてだ。5,685メートル・・・。赤血球が足りないと言われ、北アルプスのたった3,000メートルでさえ、一度高山病で死にかけたこの自分が、その2倍近い高さの山を自分の足で登ったのだ。これは普通の人の7,000メートル峰登頂に匹敵する快挙だと、自分では思う。確かに、8割程度の人がこのギルマンズ・ポイントまでは登るし、5割くらいの人は最高峰のウフル・ピークまで登ることは事実だ。だが、これほど体質的に高山病になり易い自分がこの高さまで登ることが出来たのは、ポーターの人たちに荷物を持ってもらったという事が大きいのはもちろんだが、これまでのトレッキングで身体を慣らし、ケニヤ山での教訓から高度順化に特に気を使ったこと、標高4,700メートルのアタック小屋では全く眠らなかったこと、そして何よりも、登ってやる、少なくともベストを尽くそうという意志の力によるところが大きかったと思う。

 ギルマンズ・ポイント付近には、あちこちに万年雪が残っていた。赤道直下で見る雪・・・。雄大な景観を楽しんだ後、写真をとって9時に下山開始。下り出すと体の調子が良くなって、あっという間に駆け降りて、1010分キボ・ハット着。7時間以上かけて登った道を、1時間10分で駆け下りたのだ。サミュエルはギルマンズ・ポイントから既に戻って来ていた。1時間ほどで、ウフル・ピークまで行ったヴァンスとリチャードも戻ってくる。みなから祝福を受けた。誰も私が登れるとは内心思っていなかっただろう。メンバー4人全員が一応登頂したわけで、本当にうれしい。軽食の後、12時半頃キボ・ハットを出発。早足で下って3時にホロンボ・ハットに到着し、遅い昼食を取る。ここまで下ると、高度の影響はあまり感じない。まだ3,700メートルもあるのだが、体が順化したのだろう。眼下に広がる大雲海が美しい。長い長い一日だった。夕陽を見た後、午後7時過ぎに早々と床に就いた。

 

1013日 Horombo Hut Moshi

 早起きして午前640分出発。2時間半でマンダラ小屋へ。ここで昼飯。さらに2時間強で、ちょうど正午に登山口のゲート着。ここで登頂証明書をもらう。すぐに車に乗って1時半頃モシのYMCAに戻った。50シリング(25円)で冷たいコーラが飲めるのがうれしい。4人で昼食。住所交換等した後、サミュエルとリチャードは車でアリューシャへ。ヴァンスは夜行バスでタンガに戻るという。6日間、すばらしいメンバーですばらしい登山だった。一生の思い出に残るだろう。私はこの日と翌日、静かで居心地が良く食事もおいしいこのYMCAで登山の疲れを癒した後、夜行列車に乗っていよいよ首都ダルエスサラームに向かったのだった。(終)

(この後のタンザニア鉄道の旅と、ザンジバル旅行日記は、またこの次の機会に公開します。)

追記:シリングはタンザニアシリングで、公定レート1ドル約190シリング、ブラックマーケットでは320シリングでした。ブラックマーケット(実勢レート)で考えると100シリングが約45円となります。(199010月現在)

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