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南極クルーズ日記

 

1991214日 ◆うますぎる話

 

プンタアレナスの町は今日も強い風が吹いていた。チリの首都サンチャゴからはるばる南へ2140キロ、南緯54度に位置する人口11万人ほどの港町だ。町並みは海に向かって緩い斜面状に広がっていて、どこからでもマゼラン海峡の青い海とその向こうに広がるフエゴ島が見える。真夏だというのに東京の真冬並の寒さだ。

 

私は日本を出てからもう一年余り旅を続けていて、その前日アルゼンチンの氷河国立公園カラファテからバスを乗り継いでここへ来たばかりだった。そして数日間滞在して、フェリーでフエゴ島に渡るつもりでいた。だが、町の旅行会社でたまたま見かけた一枚のポスターが、予定を180度転換させることになる。

「南極へのスペシャルクルーズ、13日間440USドル」

これを見つけたとき、私は半信半疑だった。普通の南極クルーズは最低2500ドルはすることを知っていたし、そんな大金を払ってまで南極へ行く気はなかった。だが、440ドルで本当に行けるのなら、話は別だ。もうけっこう人が集まってきていて、どんどん申し込んでいる。今日から募集を始めたそうだ。詳細を尋ねてみると、どうやら本当の話らしい。船はチリの海運会社の貨客船で、イギリスやチリの南極基地に人員や物資を届けるかたわら、急きょ空いている船室を利用してツーリストを乗せていくことになったという。しかも三度の食事に、三時のお茶までついているそうだ。出発は明後日だという。その場で決断して申し込んだ。だが、本当に船を見るまで、信じられない気持ちだ。こんなに簡単に、南極に行けるのか?何だか話がうますぎる。ともかく持ち物のアドバイスを受け、早速長靴、手袋、目出帽、厚い靴下等を買い込んだ。

 

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午後9時、船会社のオフィスへ。他のツーリストも集まっているが、どうも皆の表情がさえない。嫌な予感。聞いてみると、船会社と当局との間で行き違いがあり、ツーリストは乗れなくなるかもしれないとのこと。う一ん、やっぱり話がうますぎたみたいだ。要するに、この船会社が空き船室を利用して商売をしようとしたところ、当局がこれだけ多くのツーリスト(40)を南極に連れていくことに反対しているのだそうだ。とりあえず今晩は船内に滞在し、当局と船会社との交渉の結果を待つことになった。

 

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まる一日船内で待機。窓はないが個室のキャビンを与えられ、食事は前菜、スープ、メイン、デザートにお茶と、結構なコース料理だ。なお交渉中とのこと。何だか入学試験の発表を待つ受験生のような心境で落ち着かない。

 

218日 ◆やっと舶出だ

昼食中、突然船のキャプテンが食卓にやって来て、今夜午前零時南極に向け出航、ツーリストもみな一緒だという。思わず大歓声、私もとなりのブラジル人と肩を抱きあって喜ぶ。みんなで乾杯。夢のような話か現実になろうとしている。乗客はアメリカ人、オランダ人、ドイツ人、イタリア人、スペイン人、ブラジル入、二ュージーランド人など、国際色豊かだ。日本人は私一人。日本代表としての責任も大きい?

 

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目覚めると、船が動いている。早速デッキに出て見ると、眼前にすばらしい光景が広がっていた。船はビーグル海峡を航行していたのだ。雪を頂く山々、巨大な氷河や滝、森林、時々アザラシの群れも現れ、あきることがない。波はなく、船は滑るように進んでゆく。昼食も充実していて、もうクルーズ気分だ。たくさん写真をとった。午後8時、一般航路をはずれ、一路南極を目指す。そして午後10時、クック海峡を出て、いよいよ波高いドレーク水道へ。

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朝起きると船は大揺れだった。朝食は何とか食べたが、昼食は全部もどしてしまう。その後はずっと穴倉のような船室で寝たきり。さすがに悪名高いドレーク水道だけのことはある。一年でもっとも穏やかなこの季節でもこの大揺れ。ツアーエスコートのドリスが心配して時々見に来てくれた。早く南極の土を踏みたい。

 

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船はますます揺れる。船室にこもりっきり。ドリスが食事を持ってきてくれる。長い一人旅の身には、こうやって誰かに介抱してもらえることがとてもうれしい。

 

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朝8時ごろドリスが起こしに来てくれた。何と、船はもう南極のアデレード島沿岸を走っていて、天気も快晴だという。ふと気がつくと、もうそんなに揺れていない。その言葉を聞いただけで元気が出て、早速デッキに出る。すばらしい天気だ。左舷前方に真っ白い島が夢のように浮かんでいる。巨大なテーブル氷山も見える。遂に南極にやって来たのだ!感動のあまり船酔いなど完全に忘れてしまった。やがて、眼前には南極の白い山々が広がる。

昼食時、船長が来て「午前10時、南極圏内に入った」とアナウンス。期せずして歓声があがり、乾杯の渦。やがて船はアデレード島沿岸に接近していく。雪をかぶった巨大な山々、荒々しい岩山、断崖絶壁、氷河、そして巨大な氷山があちこちに浮かんでいる。言葉を失わせる光景が次々に展開する。時々暖を取るために船内に戻る時間も惜しいくらいだった。

小さな氷山の上で昼寝をするアザラシたちは、船が近づいても逃げようとしない。時々ペンギンの群れが船の前方を横切る。潮を吹きあげる鯨の群れ。寒さも忘れて、デッキからこのすばらしいパノラマを見守るばかりだった。

夕方、船は南緯67度のアデレード島にあるイギリス・ロセラ基地に接近。ガスボンベととにかく大量のチリワインを届ける。岩と雪ばかりのこの殺風景な基地で働く人々にとって、アルコールは必需品だろう。その後、船はそこからさらに別の湾の奥に入って行き、錨を下ろした。積んでいたドラム缶数百本の航空燃料をここにデポするのだと言う。すると、何とこの全く人気のない巨大な雪原の上にテントがあって、人間が2人この船を待っていたのだ。後でわかったことだがが、彼ら2人は2日前別の船でここに来て待っていたという。だがこの人気のない南極の大雪原でいきなりテントと人を見つけたときには、大変驚いてしまった。

午後9時、南極の海に真っ赤な日が沈む。雪山が赤く染まり、やがて空は群青色に変わって、星がまたたき出す。壮大な天空のドラマだ。

 

223日 ◆事故

今日も快晴のすばらしい天気。船は湾の奥の巨大な雪原に横づけされていた。朝食を取る間も惜しんで早速上陸。南極大陸への記念すべき第一歩だ。広い。とにかく広い。大雪原のそばには巨大な岩山がそびえたち、その奥には白い峰々と氷河。空はどこまでも青く澄んでいる。時々貨物を陸揚げする音があたりに響く他は、全くの静寂。鳥の声もなく、水音もなく、風に鳴る木々の音もない。耳を凝らすと、かすかに風の音が聞こえる・・・いや、これは地球が自転する音なのかもしれない。大雪原を奥の氷河に向かって歩いてみる。この途方もなく広い空間に、たったひとりだ。二十分ほど歩いても、奥の氷河は全く近づいてこない。立ち止まると、あたりはまた静寂に支配される。生命の気配をまったく感じさせない世界。人間は余りにも小さく、ひよわだ。おののき、立ちすくむ。空はどこまでも青く、太陽は明るく光り輝いている。だがこの明るさとは対照的に、この大地は孤独に支配されている。生命というものを全く寄せ付けない、非情な世界だ。冬、太陽が何ヶ月もその姿を隠し、暗黒があたりを支配し、猛吹雪が荒れ狂う様を想像できるだろうか。そんな時、この場所は確かにこの地球上で最も孤独な場所であるに違いない。

船に戻ると、ドラム缶の荷下ろしが進んでいた。すべて航空燃料で、百数十缶くらいか。いったいなんに使うのか不思議に思ったが、後で乗客のひとり、ニュージーランド人のスーと話してなぞが解けた。彼女はカナダに本拠を置く南極専門のアドベンチャー旅行会社「アドベンチャー・ネットワーク・インターナショナル」の一員で、この航空燃料はすべて南極大陸の最高峰ヴィンソン山(5139m)登山に使うのだという。同社はつい前月、日本の田部井淳子さんらのヴィンソン登山をサポートしたそうだ。ちなみに、この登山にどのくらいの費用がかかるのか尋ねてみると、ひとり約17,000ドルとのこと。私がこの一年間の貧乏旅行で使った費用が約9,000ドルだから、この登山では私の約二年分の旅行費用を、たった十日間ほどで消費してしまうことになる。利用者はアメリカ人、フランス人、イギリス人と並んで、最近日本人も増えているという。同社は南緯80度地点にヴィンソン登山のためのベースキャンブを常設していて、スーも毎年数か月間、そこで過ごしているという。そこでは夏の間まったく日は沈まない。だから気温も零度から零下15度くらいで、さほど寒くない。隣人のいるところまで数千キロ。生命の気配絶え、無限の静寂。スーはこの「地球離れ」した孤独感が好きで、毎年できるだけ長く南極で暮らしたいという。

昼食後、モーターゴムボート「ゾディアック」に乗って湾内を遊覧。大小の氷山の間を縫ってボートは進む。氷山の氷は深いブルーで、それが日の光を受けて輝く。アザラシの群れが氷山の上で昼寝をしているが、ボートがそばまで寄っても知らん顔であくびなどしている。南極の動物たちは人間の凶暴さを知らないのだ。船から持参のウイスキーと、氷山の氷でオンザロック。氷には小さな気泡がたくさん詰まっている。この気泡は何千年も前に閉じ込められた空気かもしれない。この途方もない過去と、現在との突然の出会いが、小さなグラスの中で音を立ててはじける。何と心地よい響き。グラスの中の小さな南極。やがてドラム缶の荷下ろしは終わり、午後6時、船はこの孤独の大地を後にした。見送るものは誰もいない。そして次の春まで、この大地は静寂と孤独に支配されるのだ。

船は氷山の間を縫って滑るように進んで行く。午後7時、夕食。ちょうどメインディッシュを半分ほど平らげた時だった。いきなり船が何かの上に乗り上げたようなズズズーッという音が響き渡り、床がググーッと傾いた。テーブルの上の皿やワインが床に落ちて砕け散る。あたりは騒然。みんな口々に「救命胴衣だ!」と叫んで食堂を飛び出す。急いで最下階の自分の船室に戻って救命胴衣を装着し、貴重品をデイパックに詰める。いきなり停電。真っ暗闇だ。あせって懐中電灯を探す。こんなところで死にたくない!という思いが胸をよぎる。こんな寒くて孤独な地球の涯で死にたくない!幸いすぐに電灯がついた。だが船腹に穴があいて今にも水が攻めてくるかもしれないという思いにとらわれて、もう必死だ。ありったけの衣類と、カメラ・フィルム・日記等をデイパックに詰め込んで脱出。あとで気が付いたのだが、この時「カネ」という概念が全く浮かんでこず、約3000ドルのトラベラーズチェックと現金は全て置いてきていた。不思議なものである。傾いた階段を必死に登ってデッキに脱出。海面をのぞいて見ると、すぐ下に浅瀬が広がっている。船はこの浅瀬に乗り上げたのだ。沈む心配はないと確信して急速に気持ちが落ち着いてきた。だが自分の船室は最下階なので、もし穴が開いていれば浸水してしまうかもしれない。そこでもう一度船室に戻って荷物を全て上に運び上げた。乗客はみな救命胴衣を着てデッキに集合。みんな本当に必死で、顔面蒼白になっている人もいる。ここで、船長の状況報告があった。

「船は浅瀬に乗り上げた。だが現在の所危険は全くない。船に穴は開いていないし、電気・水道・暖房などの設備は全て正常に機能している。潮が満ちてくれば、このまま自力で脱出できるかもしれない。とりあえず落ち着いて、船室で待機して欲しい。」

これでみんな落ち着いて、船内に戻る。私は食堂に戻って夕食の続き。その後みんなで食堂の飛び散った食器類を片付けて掃除。再度デッキに出て見ると、夕陽が沈もうとしていた。海面を見つめていると、小さな氷のかけらがどんどんこちらに向かって流れてくる。潮が満ちているのだ。やがて船体がググッと動いた。もう少しだ。午後11時頃、サロンで一杯飲んでいると、船が動き出した、という報告がある。いつの間にか、傾いていた床も元に戻っている。自分の船室に帰ってベッドに横になるが、興奮してなかなか寝つかれない。また同じことが起こるかもしれないという恐怖心があって、船が氷にぶつかる音でハッとして目が覚めてしまう。長い長い一日だった。

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 朝起きると、船はまたイギリスのロセラ基地に戻っていた。潜水夫が水中に潜って船底のダメージ状況を調査している。午前中はサロンで日記を書いたりしてのんびり過ごした。

 昼食後、基地に上陸。基地の建物内をちょっと見学させてもらい、記念にパスポートに‘British Antarctica’(‘英領南極’)のスタンプを押させてもらった。その後しばらくあたりを歩き回る。本当に殺風景な所だ。こんなところで暮らしていると、本当に国が恋しくなるだろう。海岸で写真を取り、石を少し拾って帰艦。船は午後9時半出港した。

 

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 9時起床。デッキに出て見ると、船はまだ走っている。午後3時ごろ、とある入り江に錨を下ろした。すると、向こうからチリ海軍の艦船がやって来るではないか。だがこの船より小さい。430分、2つの船がドッキング。海軍の専門家が船のダメージを調査するそうだ。さっそく潜水夫が潜って船底を調べている。この海軍の艦船にもツーリストが何人か乗っていた。海軍もこうやって副収入を稼ぐらしい。夕食は海軍の船に乗っていた旅行者も合流してにぎやかだった。

 

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 朝起きると、まだ海軍の艦船とドッキングしたままだった。やがて被害調査も終わり航行OKとなったらしく、午後3時、2隻の船は別々の方向に走り出す。我々はこれから、チリのマルシュ基地に向かうとのこと。船はやがて湾を出て外洋を航行する。揺れがひどくなり、気分が悪くなったので部屋にこもって夕食はパス。どういう訳か、下痢と船酔いを併発して、この日の夜は上からは全部戻すは、下からはものすごい下痢の連発で最悪のコンディション。腹が痛くて眠れず何度もトイレを往復し、地獄の一夜だった。

 

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 揺れの激しい外洋航海が続く。むろん朝飯はパスして、寝たきり。ドリスが様子を見に来て、乗客の一人でブラジル人のお医者さん、リカルドを連れて来てくれた。昼飯、晩飯もパスして水だけ飲む。この下痢は単なる疲労性なのか、それともパキスタン以来のアメーバ赤痢がぶり返したのか、よく分からない。後者だとすれば厄介なことになりそうだ。

 

228日 ◆南極土産あります

 朝起きると揺れが小さくなっていて、気分も少し良くなってきたので7時半、早速朝食を食べに行く。まだ食欲がなくオートミールだけ食べた。

船は午前9時キングジョージ島にあるチリのマルシュ基地に到着。南極半島のそばに位置するこの島はチリの本土から比較的近く便利なロケーションのため、数か国の南極基地が集中している。チリの基地はソ連基地と隣り合っており、国境のない南極ならではの平和な光景だ。まだ気分が良くなかったが、気合を入れて身支度を整える。モーターゴムボートに乗って上陸すると早速ペンギンたちの出迎え。あたりはペンギンコロニーになっているのだ。彼らは好奇心の強い動物で、「なんだ、こいつらは?」とでも言うように寄って来る。しゃがんでいるとすぐ目の前までやって来て、私の顔をしげしげとのぞき込み、「いったい何者だろう?」と思案しているようだ。ほんとにかわいい。近くでは親鳥が自分と同じくらいの大きさの子鳥に口移しで餌を与えている。34匹のペンギンが追いかけっこでもしているのか、ヨチヨチと走り回っている。水の中では魚のように敏捷な彼らだが、陸上では何ともぎこちなく、ユーモラスだ。にわかに向こうの海岸の方からペンギンたちの騒がしい鳴き声が聞こえてきたので振り返って見ると、ペンギンの一群が一目散に逃げていく。よく見ると、巨大なオスのアザラシがペンギンの群れを追っているのだった。逃げ遅れた一匹がつかまって、情け容赦なくバリバリッと食われてしまう。ああ、かわいそうに。一匹が捕まるともうしばらくは大丈夫だとペンギン達も分かっているのか、逃げて行った奴らがまた雄アザラシの近くまで戻って来て、アザラシを遠巻きにして見ている。仲間の一匹が食われているというのに、何とものんびりしたものだ。ブラジル人ツーリストの一人が面白がって雄アザラシに接近し挑発するが、ウォーッと吠えられて一目散に逃げ帰る。ラテン人というのは大人になってもどこか子供っぽいところがある。

ユーモラスなペンギンの写真をみんなで撮っていると、後ろから突然「南極のお土産はいらんかい?」と声がかかる。振り返ると、ビニール袋を下げた二人組の男がニコニコして立っている。いったい何を売っているのかと見せてもらうと、各国基地の記念スタンプを押した封筒が一枚一ドル、南極バッジが一個ニドルだという。この二人組、実はソ連基地の隊員で、小遣い稼ぎにツーリスト相手にお土産を売っているらしい。私もついバッジをひとつ買ってしまった。ソ連隊員のドル稼ぎ、南極らしからぬ苦いジョークだ。このあと歩いて、チリのマルシュ基地へ。早速郵便局に駆けつける。みんな一人で十通二十通と絵はがきを出している。私も両親や友人に絵葉書を送った。南極からの絵葉書を受け取る友人の驚きを思うと、ひとりでに顔がほころぶ。‘チリ領南極・マルシュ基地郵便局’の消印スタンプを借りて、自分のパスポートにもベタベタ押す。

午後3時、船に戻って遅い昼食。午後4時、船はマルシュ基地を後にして進路を北に取り、南米大陸への帰路につく。これで南極の旅は全て終了。本当に心から満喫した。もう思い残すことはない。あとはドレーク越えの2日間ベッドの中でげっそりだが、これだけ楽しんだからにはもうこの程度の苦労は何のその。天気にも恵まれ本当に充実していた。早速シャワーを浴びて寝床に入る。

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荒波のドレーク海峡越え。予定通り(?)船酔いで一日中ベッドの中で過ごす。ブラジル人のお医者さんリカルドが親切にケーキなど持ってきてくれるし、ドリスにも世話になるし、一人ぼっちでないという事は有難い。明朝8時頃にはホーン岬辺りまで進むという。帰りはけっこう速い。

 

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朝「ホーン岬だぞー」という声で目が覚める。デッキに上がって目を凝らすと、遠くに小さな島が見える。ホーン岬だ。ホーン岬は普通考えられているような大陸の最南端でなく、そのさらに南にある小さな島の岬なのだ。やがて船はビーグル海峡に入る。久しぶりに見る緑の森林がまぶしい。岩と雪の世界から、生命の満ちあふれる世界に帰ってきたのだ。天気も上々、すばらしい景観。右手にはダーウイン山脈の白い峰々と、巨大な氷河群が展関する。直接海に落ち込んでいる氷河や、途中から滝となって流れ落ちている氷河など、次々に現れるので見ていて飽きることがない。寒さも忘れてデッキでずっと見守っていた。この日の夕食はお別れパーティー。ディスコ音楽で夜遅くまで踊りまくった。

 

32日 

午後1時、無事プンタアレナスに帰還。世界中から集まり、2週間にわたるすばらしい旅をともにした40人の仲間は、またここから思い思いの旅を続ける。私も今日から一人旅だ。この航海は私の今度の旅のハイライトだった。この記憶は一生の宝となるだろう。

 

◆南極の旅を終えて

正直なところ、私は南極大陸に対して全く興味を持っていなかった。南極はただの岩と雪ばかりの世界だと思っていた。だが偶然の機会が、こういった私の考え方を根本から変えてしまった。南極は美しい。ただの岩と雪ばかりの世界ではないのだ。しかも、アザラシや、ペンギンや、その他多くの海の動物たちにとっては、かけがえのない生活の場であり、その荒々しい外見とは裏腹に生命の宝庫でもある。南極大陸は、またとない特殊な自然条件から、いわば「地球ばなれ」した独自の美を主張している。最近、南極大陸におけるツーリズムということが問題になっている。南極の自然を手つかずのまま残して置くためには、一切のツーリズムを排除しようという考えもある,だが、南極はしまいこんでおくには余りに美しすぎる。それに、ここを訪ねた人はすべて、この得がたい宝を守っていこうという決意を新たにするに違いない。ホテル建設など大規模開発は許すべきでないが、クルージングという形で訪ねるのなら、環境に与える影響は最小限ですむはずだ。あの美しく白い大陸は、人類に深い英知を、強く静かに求めているのではなかろうか。()  [19913]

 

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